仏教のお話

仏教に関する住職の法話を掲載していきます。
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信仰のかたち

仏教徒の信仰のあり方を身近な例から紹介していきます。
信仰のかたち①
信仰のかたち①

仏事Q&A

曹洞宗の仏事について、丁寧に説明していきます。
仏事Q&A①
仏事Q&A②

私に人の悪口を伝えてくる者は信じるに足らない
私に人への感謝の言葉を伝えてくる者をこそ、私は信じるべきである

令和2年8月

 私に悪口を伝えてくる者は他者にも私の悪口を伝える者である。

他人の過ちは絶対に許さない
自分がどれだけ許してもらっているかを知りもしないで
正義の行使者は今日も罪を重ねる

令和2年10月

 他者は自分ではないのですから思い通りになるはずもなく。互いにその違いを許し合いながら生きていくもの。

人が不幸になるのは
幸せになりたい、と、思った瞬間だったりするから
私はまず、自分のそばにあるものたちに
有り難うを言おう、と思った

令和2年11月

 目指す先にある幸せもあるでしょう。
 ただ、私たちがまずしなければならないことは、我が命への感謝と、そばにあるものたちへの感謝ではないでしょうか。

一年の恨みは、忘れて置いて行きなさい
ただし
もらった恩義は、どんなに小さなものだって
忘れず持って行きなさい
有り難うございました

令和2年12月

 恨みは自分も相手も滅ぼすものだから、どうか許して前に進んで欲しい。
 感謝は自分も相手も生かすものだから、どうか共に生きて欲しい。

朝起きて 外に出て
太陽を見上げる
その眩(まばゆ)い輝きは
天と地と
そして私とを
いつも等しく照らし出してくれる

令和3年1月

 どれだけ自分で自分のことを蔑(さげす)んでみても、世界はいつも自分のことを受け入れてくれる。

小さな水の流れも
やがて石に穴を穿つ
過去にすがり
自慢話に明け暮れるよりも
今この時を
確かに 一歩ずつ
踏みしめていこう

令和3年2月

 本当のところはいつも、自分の足元にしかない。

手に入れることよりも
与えてあげることを学ぶ方が
幸せに生きていけるよ

令和3年3月

 欲しがる分だけ貧しくなる。与えてもいいと、思った瞬間に心は軽くなる。

文句ばかり言っておると
不幸を拾い上げるばかりで
幸せを置き忘れていくぞ

令和3年4月

 不満はすぐに目につくが、円満は見えにくい。

神仏に祈願する
願いは叶うかもしれないし 叶わないかもしれない
いずれにせよ至心(しいしん)に手を合わせ
結果を問わず感謝申し上げる
文句が出てくるならば その望みは自分にとって過ぎた望みだったと自戒する
決して貪りの心を起こさぬこと

令和3年5月

 祈りは求めぬ時にこそその威神力を発揮する。

途方もない目標に向かって
切り開いていく道もあろうが
仏の道とは
今 足元にある平生を正していくところに
自ずと開かれていくものだ

令和3年6月

 外に外に求めすぎず、謙虚に日常に向き合っていくべし。

この世の怨みは
怨みによって静まることはありえない
怨みを捨ててこそ静まる
これは永遠の法である
お釈迦さまの言葉
法句経より

令和3年7月

 論破している場合ではないぞよ。

金貨の雨が降ろうとも
諸欲が満ちることはない
しかし賢者は了知する
諸欲は少味
苦のものと
お釈迦さまの言葉
法句経より

令和3年8月

 願望を満たすことが人生の目的である以上、その苦しみに終わりはない。

人に財を施して
見返りを求めず
人から財を受けて
貪りの心を起こさず
この時 その財のことを浄財と呼び
その徳は 普く自他を
利益する

令和3年9月

 寺社に喜捨する金銭だけが浄財ではない。自身の心の有りようの中にあるのだ。

諸々の悪をなさない
悪とは自他を害すること
諸々の善を行う
善とは自他を利すること
これが
我が命を清らかにし
安楽に生きる道である

令和3年10月

 自身の利益だけを貪っておっては、いつまで経っても安楽は訪れぬ

私はスイフトに乗っているが
世間は私を
ベンツに乗っていることにしたがる
世間は往々にして
このようである

令和3年11月

 世間の評判など、事実とはかけ離れた思い込みがほとんどである

三塗八難 息苦停酸
法界衆生 聞声悟道
救いの声も届かぬ
耐え難い苦難の中にある者たちにさえ
あらゆる一切の衆生のもとに
この鐘の音が届き
安らかな仏の道と出会い
その苦しみから救い取られますように

令和3年12月

 梵鐘に込められた願い。現代人は”五月蠅い”と一蹴する。

目が覚めたので
閑かに坐って
耳をすませてみる
聞こえてくるのは
風の声と
私の呼吸

令和4年1月

 私たちは、自分が生きていることさえ忘れてしまっている

他人の過失を
見ることなかれ
他人のしたこと
しなかったことよりも
自分のしたこと
しなかったことを
見なければならない
『法句経』より

令和4年2月

 他者を貶めたところで、自身の愚かさは何ひとつ変わらぬ

悪がいまだ熟さぬうちは
悪人さえも善を見る
しかし悪が熟した時は
悪人はもろもろの悪を見る
『法句経』より

令和4年3月

 誰も見ていなくても、自他を害する行いはあなたにつきまとう

百花春至って誰が為にか咲く
花は私たちのために咲くのではなく
ただ精一杯に咲いてその命を全うするのみ
私たちは躍動するその命のおすそ分けを受けている
咲いてくれてありがとう
そこから始まる
素敵なお花見

令和4年4月

 ただ一方的に貪っていてはいけない

古人云く
「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」

よき人に近づけば
覚えざるに
よき人となるなり
『正法眼蔵随聞記』より

令和4年5月

 自分に都合の良い人を「よき人」とは呼ばない

もし誰かと
争うとしても
それは
仲直りに向けて
行われるべきである

令和4年6月

 争いのための争いのなんと不毛なことか

善いことをして
悪いことはしないように
三歳の子どもでも
知っていることだが
八十歳の老人でさえ
行い難いことだ
『景徳伝燈禄』 鳥窠林 章 参照

令和4年7月

 子どもは無知ゆえに行い難く、老人は傲慢ゆえに行い難い

頭髪が白くなったからとて
長老なのではない
ただ年をとっただけならば
空しく老いぼれた人と言われる
誠あり 徳あり 慈しみがあって
そこなわず つつしみあり みずからととのえ
汚れを除き 気をつけている人こそ
長老と呼ばれる
『法句経』第260

令和4年8月

 人生を誇ることも、後輩たちへの慈悲のためになされると善い

親は子に迷惑をかけまいと
自分の葬式の準備までしている
子は親に言ってやれ
親の弔いを迷惑に思うほど
我が子が薄情者だと侮るなと
ひと言相談しろよと
合掌

令和4年9月

 本当に子を思うなら、最後まで親を大切にする子に育ててやれ。

人が褒めてくれるなら
間違いだと知っていても
好んでやる
人が褒めてくれなければ
正しいと分かっていても
嫌ってやらない
痛ましいことだな
合掌
『学道用心集』を参照

令和4年10月

 名利心こそが仏道最大の障害。

目の前の食事が
自分のもとに届くまでの
多くの人のご苦労や
食材の尊き命に
思いを馳せます
合掌

お坊さんのいただきます
「五観の偈」より

令和4年11月

 命をいただいた私は、自分の命を養い、また他の命のために生きていかねばならない。

自らの日々の行いが
この食事を頂くのに
値するかどうかを
反省いたします
合掌

お坊さんのいただきます
「五観の偈」より

令和4年12月

 仏道に邁進せねばならない。寸暇も無駄にしてはいけない。