法事の意味を教えて下さい
令和3年5月
お葬式などと同じように、法事もとりあえずつとめるもの、呼ばれたら参列するものとして、法事は当たり前のようにあるものだと思います。ではこの法事の意味とは何なのでしょうか。
もちろん、大きな意味としては故人の益々のご冥福をお祈りすることではありますが、法事は別の言い方で「追善供養(ついぜんくよう)」と呼ばれます。追善供養とは、故人がご生前に積まれた善行功徳にプラスして、さらに追って功徳を手向けるという意味です。法事では僧侶を含めご家族ご親族皆さんでお経を唱えます。また、僧侶の法話を皆さんで拝聴し、仏法僧のひとつであるお寺にお布施をします。そうした「善行」によって積み蓄えられた「功徳」を、僧侶の「回向(えこう)」によって故人にお届けする。そうすることよって故人があちらの世界で益々安らかになっていただけるよう願うのです。
法事は、故人様のために自分たちが少しでも良い行いを積み、それをお坊さんに届けてもらうという儀式なのですね。皆様の大切なご先祖様が、ますます安らかでありますように。合掌
法事に僧侶は呼ぶべきですか?
令和5年12月
何とも難しいご質問です。確かに「もう五十年の法事なので家族だけで手を合わせます」などと、家族だけでご命日にお参りなさることもありますね。それはそれで「ご先祖様を偲んで感謝申し上げる」という、法事のひとつの大切な目的を果たすわけですから大変意味のあることです。
ただ結論から申しますと、僧侶を呼んだ方がはるかに善い法事と言えます。自己弁護をするわけではないですよ。
前回の記事にも書きましたが、法事の意味は追善供養です。自分たち自身が善い徳を積んでご先祖さまのために手向け、故人のご冥福がますます安楽でありますようにと祈る。これが追善供養でしたね。僧侶と一緒にお経を読むこと、僧侶にお茶や食事を供養すること、僧侶の法話を聞くこと、お寺にお布施を供養することなど、そのそれぞれが仏教徒としての善行に当たります。法事の中では僧侶が「回向文(えこうもん)」を唱え、皆さんが積んだ徳をご先祖様に手向けるための儀式を行います。これが法事の肝要な部分になります。
そういう意味では、冒頭のご質問は大変難しいご質問ではありますが、呼ぶ呼ばないどちらにも意味はあるものの「どちらかと言えば僧侶を呼んだ方がはるかに善い」というのが私の回答になります。つまり、僧侶も呼ばない、家族でもつとめない、そうしたことだけは絶対にないようにしましょう。家や自分は先祖というルーツあってのものですからね。