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- 目 次 -

  1. 徳を積む生き方を
  2. お布施を考える
  3. 生前戒名を考える

信仰のかたち①へ

徳を積む生き方を

令和4年10月

 「お寺の掃除をさせていただく機会を作ってほしい。徳を積ませてほしい。」
安養寺に来てからお一人だけ、私にこのように伝えて下さった檀家さんがいらっしゃいます。
 お寺には大きく三つの役割があるとも言われます。ひとつには「祈り」。神社などと同じように皆さんがお参りして手を合わせること。ふたつには「先祖供養」。檀家の皆さんのご先祖様をお守りすること。そしてみっつには「道場」。これは、仏教を学び、実践する道場のこと。いつも行っている坐禅会や勉強会などもその一環ですが、掃除などの奉仕作業(布施行)を行って徳を積むこともまた、道場としての大切な役割です。
 仏教では「善因善果」「悪因悪果」(善因楽果、悪因苦果とも)言い、善い行いを積めば安楽に生きていけるし、悪い行いを積めば苦しむことになると説いています。そのため、お寺では信徒さんが善い徳を積む機会を設け、その生き方を安楽ならしめようという役割があるのです。
 お寺によって、それが檀家さんの中で当たり前に育っているところもありますが、またお寺によってはただの「負担」としか思われず、文句さえ言われるようなこともあります。ただ、冒頭のような言葉をかけて下さる、たった一人の有り難い「芽」を大切に、安養寺でも「善い徳を積む生き方」を育てていけたらと願っています。

お布施を考える①

令和5年4月

 これは批判ではなく、学びのために話題に上げるのですが、安養寺に赴任して戸惑ったことのひとつに、檀家の皆さまのお布施のとらえ方がありました。
 例えば四月の大般若祈祷のお布施として「祈祷料」をお伝えすると、「え?お金取るんですか?」と言われたり、写経会の五百円の「納経料」についても「え?お金取るんですか?」と言われたりなど。それまではほとんど言われたことのない言葉でしたので戸惑い驚いたものです。
 お布施というのは仏教徒として皆さまご自身が善い徳を積むという行いの、ひとつの“かたち”です。私がお布施を受け取る際は必ず「お供えさせていただきます」と言いますが、お布施を仏前に供養することで皆さまの善行功徳としているのです。その善行の功徳をご自身のために蓄えたり、ご先祖様のために手向けたり、厄除けなどの祈願のために神仏に供養したり。それぞれ法要の意味に合わせ、僧侶が回向(えこう:その功徳を回し向けること)します。
 世間にへりくだる僧侶も増えている中、聡いお坊さん方はおっしゃいます。「お布施をいただかなければ檀家さんの人気は取れるだろう。しかしそれは檀家さんから法事や祈祷の意味を取り上げてしまうことにほかならず、逆に失礼なことだ」と。正しく意味を学ぶ。まずはそこからです。

生前戒名を考える

令和5年10月

 例えば配偶者さんを亡くされた方が「私も生きている内にお戒名をつけて頂きたい」と、生前戒名の依頼をされることがあります。現代においてお戒名は亡くなった後、お葬儀において授けられるのが一般的です。人が亡くなった後に故人を仏弟子としてお送りする際、仏教の教えを護って生きていくという誓いの証として授かるというのが、その簡単な意味になります。
 もちろん本来的には生きている間に授かる方が良いでしょう。殺しません、盗みません、嘘をつきません、酒に飲まれません、自慢や悪口は言いません、怒りに振り回されません、他者を大切にします、など、生きている間に、仏教の戒律に従って正しく生きていきますという誓いを立てる。わがまま放題に生きて苦しみの種を自分で蒔き続ける人生から、その種蒔きを控えることで、より安楽な道へと変わっていくことでしょう。
 安養寺では、生前戒名のご依頼を受けると、原則としてはお寺にて「授戒式(じゅかいしき)」という簡易的な儀式をつとめます。この式の中で仏教の戒律を説法させていただき、教えを授かった証としてお戒名を授与するのです。生前戒名を受けても、修行僧のように本格的な修行までは中々できませんが、先祖供養を始め、なるべくお寺の行事に参加してもらうように伝えています。
 生前戒名は終活の一環という固定観念を離れ、「より善い明日を生きるための選択」として考えたいものですね。